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DXの本質を戦国武将に学ぶ

DXの本質を戦国武将から学ぶ

DXの本質とは

はじめに

100年に1度の大変革期を、
中小企業はどう乗り越えるか

現在、自動車業界を中心に、「100年に1度の大変革の時代を迎えている」と言われています。電動化や自動化、コネクティッド、シェアリングなどの技術革新は、あらゆるビジネスや産業を大きく変化させました。その変化に対応し、企業を存続させる重要な鍵のひとつが、「DX(デジタル・トランスフォーメーション)」です。

DXという言葉を聞いたことがある人は多いと思います。ただし、DXを単にデジタル技術を導入することと考えている人も少なくありません。

実は、DXはIT化を図ることだけを指すのではありません。そこで本原稿では、時代の過渡期を生きた戦国武将を題材に、DXの本質をわかりやすく紹介します。

戦国時代が終りを迎えた16世紀末。争いから調和へと世の中の価値観は180度転換しました。そのとき、組織のリーダーである戦国武将はどのような行動を取ったのか。そこから学べることは、同じく100年に1度の大変革を生きる現代の経営者にも大いに活かせるはずです。

注)掲載された歴史的内容は、独自の見解を交えて作成しています。史実を保証、証明するものではありません。

DXとは

DX(デジタル・トランスフォーメーション)の意味は、次のように定義されています。

【企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること】

引用;「DX推進ガイドライン」(経済産業省)

DXとIT化の違い

DXを“データとデジタル技術を活用”し、“競争上の優位性を確立すること”と解釈すると、「DX=IT化」という勘違いが生じます。この定義で重要となるのは、“製品やサービス、ビジネスモデルを変革”と“業務そのものや組織、プロセス、企業文化・風土を変革”です。

書類を電子化したり勤怠管理をデジタル化することは、システムを入れ替えただけです。書類の電子化により稟議書の承認フローを最適化したり、勤怠データを労働環境の改善に役立てるなどして、はじめてDXと言えるようになります。

DXは中小企業の存続条件

中小企業にとってDXが存続条件である大きな理由に「2025年の崖」があります。

2025年の崖とは、現在多くの企業で使用されている既存のITシステムが、2025年を目安に時代に対応できなくなり、企業の競争力低下や経済損失をもたらすという予測です。2018年に経済産業省が発表した「DXレポート」に登場し、2025年までにシステム変革を達成できない企業は衰退する可能性を示唆しました。

DXに取り組まないリスク

2025年の崖に直面した企業には、次のようなリスクが考えられます。

① 革新的なデジタル技術や新たなビジネスモデルに対応できなくなる

② 現行システムの老朽化による運用・保守コストの増大

③ データ流出・紛失などのセキュリティ面での品質の低下

中小企業の経営者として特に問題なのが、①のリスクです。新たな技術やビジネスモデルへの対応の遅れは、フットワークの軽さという中小企業ならではの強みを奪ってしまいます。そのような事態を回避するには、古くなった技術や複雑化した社内の仕組みなど従来のシステム(レガシーシステム)から脱却する必要があります。そして、その脱却を後押しするのが、“業務そのものや組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立する”と定義されているDXなのです。

「変革を起こす」と言うと、大企業やベンチャー企業などの専売特許のように思われがちです。しかし実際は、そこまで大仰なことではありません。今までのやり方にこだわり過ぎることなく、時代に合わせて考え方を変化させればよいのです。その姿勢で100年に1度の大変革期を乗り越え、領地を発展させたのが次で紹介する伊達政宗です。

伊達政宗 時代の変化を読み、仙台を発展させる

DXの本質を戦国武将に学ぶ

独眼竜の異名を取り、現代も地元・仙台はもちろん全国に多くのファンがいる伊達政宗。「生まれるのが20年早ければ、天下を取っていた」と言われるなど、乱世にふさわしい野心あふれる武将として知られます。実際、時の天下人である豊臣秀吉の命令を無視して戦をしたり、臣従後も一揆を扇動したりと、隙あらば領土拡大を狙っていました。そのため、ドラマや小説などでは血気盛んな武将として描かれる政宗ですが、実は内政でも優れた手腕を発揮しています。

稲作にとらわれず事業を多角化

政宗が内政で本格的に手腕を発揮し始めたのは、関ヶ原の戦いが終わった1601年頃と考えられています。この年、本拠地を仙台に移した政宗は城と城下町の建設に着手。現在の宮城県に値する広大な領地に48カ所の館をつくり、藩の経営を行いました。

この時代の領内経営は、主にコメを始めとした農作物の増産になります。政宗も例に漏れず、河川の治水工事や開墾による新田開発を積極的に行いました。しかし、今でこそ米どころである東北地方も、農法開発や品種改良が進んでいない当時は、冷害や潮風による塩害に悩まされることが多くありました。そこで政宗はコメの増産を続ける一方で、鉱山開発や養蚕、和紙やたばこの生産などにも注力。柔軟な姿勢で事業の多角化を成功させ、仙台藩を国内屈指の豊かな藩へと成長させたのです。

コメの輸出というビジネスモデルを構築

政宗は戦乱から太平へと世の中が大きく変わる中で、新たなビジネスモデルを構築したことでも知られています。平和な時代になったことで、今後は幕府のある江戸に人口が集中するだろうと考えた政宗は、江戸の食料需要を満たすべくコメの輸出を始めたのです。

コメの輸出を行うには、領内に運河を通したり、港をつくる必要があります。特に港づくりには専門的な技能が求められるため、政宗はわざわざ近江(現在の滋賀県)から技師を招聘したといいます。それにより北上川の河口に石巻港が完成。海運によるコメの輸送が行われるようになりました。

江戸時代中期には、江戸に流通するコメの3分の2が仙台米だったといわれます。世界最多の人口を誇った都市で、それだけのシェアを確保していたということは、藩にもたらされる利益はかなり大きかったはずです。まさに、時代の変化に合わせてビジネスモデルを構築し、競争上の優位性を確立した典型例といえるでしょう。

仙台藩の初代藩主である伊達政宗は、企業でいうところの創業者です。事業継承した2代目、3代目の経営者からすると、「創業者だから常識や伝統にとらわれない行動が取れたのだ」と思われるかもしれません。また、「今のやり方でずっと上手く行っていたのだから、あえて変革する必要はない」と考えている方もいるでしょう。

しかし、その考え方こそが、実は大きな盲点なのです。自分たちでは「上手く行っている」と感じていた方法が、実はレガシーシステムだったという失敗例を教えてくれるのが、次で紹介する北条氏政です。

北条氏政 レガシーシステムにこだわり滅亡へ

北条氏政は関東地方で覇権を握った後北条氏の第4代当主です。小田原征伐によるお家滅亡を招いた当事者であることから、創作物では頼りない当主として描かれがちです。しかし実際は、後北条家の最大版図(領地)を築き上げ、家臣や領民からもよく慕われた名君でした。小田原征伐でのたった一度のミスで暗君というイメージが後世に残ってしまった、悲運の武将と言えるかもしれません。

客観的なデータが不足した小田原評定

「小田原評定」という故事成語をご存じでしょうか。意見が堂々巡りするだけで、時間ばかりを浪費してしまう会議のことです。この語源となったのが、小田原征伐だと言われています。

1590年、全国の主だった大名を従えた豊臣秀吉は、天下統一の総仕上げとして関東の後北条家に対し挙兵しました。これが小田原征伐です。秀吉軍は総勢約20万人ともされる大軍であるのに対し、迎え撃つ後北条軍は総勢で約8万人。数の上では勝算はありません。しかし、後北条家には小田原城という文字通り、最後の砦がありました。小田原城は城下町全体を強固な塀と堀で囲った総構えという構造で、城郭内には田畑や水源もあり、城にこもっていても自給自足が可能でした。そうして後北条家の家中では、「小田原城に籠城すれば負けることはない」という意見と、「20万人の大軍に勝てるわけがない」という意見がぶつかり合い、その評定(会議)は、実際に合戦が始まり、城をぐるりと包囲されてからも続いたと言います。結果として籠城から3カ月後、城を包囲しながら花見や茶会を開く秀吉側の圧倒的な物量の前に、勝ち目がないと悟り、氏政は降伏。城兵の助命と引換えに、自らは切腹で責任を取りました。

降伏のタイミングをいたずらに遅らせた小田原評定ですが、実際に秀吉軍を目の当たりにし、その力の差を実感しないことには判断できないところでもあります。もしこのとき、DXで客観的なデータの収集や分析を行い、それを判断材料にしていれば、籠城にせよ降伏にせよ、ここまで長期間、意見が割れることはなかったでしょう。

長年使用するシステムも、実は問題が大アリ?!

氏政の失敗要因として、小田原評定というシステムにこだわり過ぎていたことも挙げられます。小田原評定は重臣たちによる合議で物事に裁定を下すものです。主君の独断専行が一般的だった当時からすると、革新的な政治手法でした。この手法により、後北条家は代々、家臣や国人(地域の有力者)からの目立った裏切りもなく、安定した領地経営を行うことができました。しかし、小田原征伐のような家名の存続か滅亡かという岐路に立った場合、のんびりと会議を重ねるよりも、即断即決で行動したほうが傷口は小さくて済んだはずです。

経営ではときとして、一瞬の判断の遅れが命取りになります。社内で入念に検討を重ねていては、その間に競合他社に仕事を横取りされることもあるでしょう。DXを進める企業が増加していく今後、企業に求められる判断スピードはますます高くなっていきます。そのような時代に生き残るには、小田原評定のように長年用いて上手くいっているシステムでも、一度DXの観点から見直したほうがよいでしょう。

おわりに

〜DXは中小企業のほうが取り組みやすい〜

時代の変化に応じて柔軟にビジネスモデルを構築した伊達政宗。変化が求められる中、昔ながらのやり方を貫いたことで最悪の事態を招いてしまった北条氏政。明暗分かれた2人の結果は、時代の変化に応じて常にアップデートすることの重要性を私たちに教えてくれます。

本稿でもすでに述べましたが、大切なのは、今までのやり方にこだわり過ぎることなく、時代に合わせて考え方を変化させることです。ITベンダーが提供するシステムやツールを活用しながら、既存のビジネスモデルや業務フローを見直し、効率化すればよいのです。仮に行き詰まっても、ITベンダーに相談すれば、課題解決に役立つアイデアを出してくれるはずです。大手に比べて事業や組織が複雑でないぶん、DXは中小企業の方が取り組みやすいとされます。100年に1度の大変革期を乗り越えるために企業に、ぜひ本e-bookをきっかけに、DXを始めてください。

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「この価格で本当にオウンドメディができるんですか?」「サブ丸は安価ですね。コンサルが入るのと比較できませんが、一般的な費用の1/4ぐらいじゃないですか」このサービスをローンチする前に相談したマーケティング&コンサルタント会社の担当者から聞いた言葉です。サブ丸はサービス内容と比較して安価かもしれませんが「私たちは値段を売っているのではない。サービスを提供しているのだ」と信念を持って取り組んでいます。大企業はその企業に応じたマーケティング予算と手法があり、スタートアップ企業や中小企業、あるいはニッチャーには、それぞれに応じたマーケティングや新規開拓の方法があります。企業の成長過程では、取り組みが異なるのは当然ですし、それを構築することが何より重要です。そのお手伝いをするのが私たちの使命です。そして成長すれば、その取り組みコストは回収できるはずです。サブ丸は年間運用で60万円あまりのコストがかかります。そのコストを回収し、さらなる飛躍をめざす企業にご利用いただきたいと考えています。

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